
第一段階――選別の門と「裸の存在」
強制収容所に到着した人間を最初に襲うものは、まだ持続的な無感動ではない。それは、自分が置かれた現実を理解できないまま、従来の世界だけが急速に失われていく「収容ショック」である。
フランクルは、強制収容所における心理状態を三つの段階に分けている。第一段階は収容直後の衝撃、第二段階は収容所生活への適応と感情の麻痺、第三段階は解放後の心理である。ここで扱う第一段階とは、人間がそれまで依拠していた身分、財産、家族とのつながり、将来の計画、そして自分自身についての理解を、短時間のうちに剝ぎ取られていく過程であった。
アウシュヴィッツへの到着
人々は貨車に詰め込まれ、行き先も知らされないまま運ばれた。車内には恐怖が満ちていたが、それでもなお、「まだ最悪の事態ではないかもしれない」という期待が残されていた。収容所で働いている囚人たちが、外見上は比較的健康そうに見える。笑っている者さえいる。そのわずかな光景から、人々は自分たちも同じように生き残れるのではないかと考えた。フランクルは、こうした心理を「恩赦妄想」と呼んでいる。死刑を宣告された者が、執行直前まで恩赦の可能性にすがるように、人間は絶望的な状況に置かれても、まだどこかに例外があるのではないかと考える。これは単なる判断の誤りではない。崩壊しようとする精神が、最後の可能性を手放すまいとする反応でもあった。
選別の門
到着した人々は、一人ずつ将校の前を歩かされた。将校は、ほとんど何の説明もなく、人差し指を左右へ動かした。
左か、右か。
フランクルは右へ振り分けられた。後になって、それが「労働可能」と判断されたことを意味していたと知る。右は救済ではない。ただ、その時点で直ちに死へ送られなかったというだけである。一方、左へ送られた老人、病人、子供、衰弱した者たちは、直接ガス室へ向かわされた。この選別では、本人が何者であったかは問題にされない。どのような人生を送り、誰を愛し、何を考え、どのような仕事を成し遂げてきたかも関係しない。ただ、現時点で労働に使用できる身体か否かによって、生と死が分けられた。選別の門とは、人間が人格として見られることをやめ、外部から一方的に「使用可能」か「使用不能」かを判定される場所であった。
過去の抹消
選別を通過した後、人々は所持品をすべて取り上げられた。衣服、靴、時計、指輪、写真、護符――それまでの人生と自分を結びつけていた品々が失われていく。フランクルにとって特に重大だったのは、長い年月をかけて書き上げた学術書の原稿だった。それは単なる紙の束ではない。彼の仕事であり、思想であり、収容以前の人生が未来へ続いていく証拠でもあった。しかし、それを残したいという願いは一顧だにされなかった。衣服を脱がされ、全身の毛を剃られ、番号を与えられる。こうして職業も社会的地位も名前さえも実質的な意味を失う。最後に残されたのは、文字どおりの身体だけだった。フランクルのいう「裸の存在」である。
恐怖の中に現れる奇妙な反応
ところが、極限状態に置かれた人間には、予想外の反応も現れる。一つは、恐怖から距離を取るような好奇心である。自分はこの寒さにどれほど耐えられるのか。眠ることはできるのか。傷はどうなるのか。人間の身体は、どこまで適応するのか。もう一つは、絞首台のユーモアともいうべき反応だった。状況があまりにも過酷で現実離れしているため、人間はときに笑うことで、わずかな精神的距離を作り出す。それは陽気さではない。耐えがたい現実に完全に呑み込まれないための、ごく小さな防御であった。
「鉄条網へ走る」という可能性
収容所では、自ら高圧電流の流れる鉄条網に触れて命を絶つことが、いつでも可能だった。フランクルもその可能性を知っていた。しかし彼は、少なくとも自分から鉄条網へ走ることはしないと決める。この決断は、壮大な希望の宣言ではない。未来が開けていると信じたわけでもなく、生還できる確信があったわけでもない。ほとんどすべての選択肢を奪われた人間が、なお保持していた最小限の否定形――「これだけは自分から行わない」という決定だった。
第一段階の終わりに見えてくるのは、英雄的な意志ではない。選択可能性を限界まで縮小された人間が、それでもなお、最後の一点において自分の行為を決めようとする姿である。
凪原理論から見た第一段階
凪原理論の観点から見ると、第一段階で起きているのは、単なる恐怖の増大ではない。人間を支えていた「価値世界」と「可能世界」の同時崩壊である。収容以前のフランクルには、家族、仕事、学問、原稿、社会的身分、未来への計画があった。これらはすべて、自己の価値を支える命題群であった。ところが収容所では、それらが一挙に無効化される。
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ここで低下するのは、肉体的な安全だけではない。「自分は何者であるか」「何のために生きてきたか」という自己価値の構造そのものである。
同時に、可能命題も極端に縮小する。
通常の世界では、人間は複数の未来を思い描くことができる。しかし選別の門では、その可能性が「右」か「左」かに圧縮され、しかも本人には決定権がない。主体が未来を選ぶのではなく、外部権力が主体の可能性を強制的に決定する。このときの「恩赦妄想」は、単なる非合理性として片づけられない。それは、
P(生存)>0
という可能命題を、精神が最後まで維持しようとする働きだったと考えられる。このわずかな可能性まで失われれば、価値命題と可能命題の結合が完全に断たれ、意志は成立しにくくなる。フランクルが「鉄条網へは走らない」と決めた場面には、凪原理論のいう意志の最小形が現れている。
自ら終わらせないという価値命題 ∧
鉄条網へ走らないことは可能であるという可能命題
この二つの結合によって、極限まで縮小された意志が成立する。それは「自由に生き方を選べる」という通常の意味での自由ではない。ほとんどすべてを奪われた後に残る、行為の最後の一線である。
第一段階の位置づけ
第一段階を、ただちに「感情の消滅」と表現するのは適切ではない。ここにはまだ恐怖、期待、絶望、好奇心、ユーモアが激しく交錯している。情念は消えていない。むしろ、現実を処理しきれず乱高下している。しかし、この急性の衝撃が長く続けば、人間は同じ強度で反応し続けることができない。やがて情念は摩耗し、苦痛や死を目にしても反応しなくなっていく。
したがって第一段階とは、
価値世界と可能世界が破壊されながらも、情念がなお最後の抵抗を続けている段階と位置づけることができる。この抵抗が尽きたとき、フランクルの記述は第二段階――感情の麻痺と無感動の世界へ入っていく。
第二段階・前半――感情の鈍麻と運命のたわむれ
収容直後の激しい衝撃は、いつまでも同じ強さでは続かなかった。数日が過ぎると、被収容者は第一段階の「収容ショック」から、第二段階である「感情の消滅」へ移行する。家族に会いたいという切望、周囲の不潔さに対する嫌悪、暴力への恐怖、苦しむ者への同情。こうした感情は次第に弱まり、内面はじわじわと死んでいった。
しかし、それは精神が完全に壊れたということではない。毎日のように暴力、病気、死体を目にする環境で、そのたびに恐怖や悲しみを感じていたのでは精神がもたない。感情の鈍麻は、過酷な現実から精神を守るために形成された、必要不可欠な自己保存機構だった。
感情の麻痺
収容所に入ったばかりの者は、病人や死者を目にして動揺する。ところが数週間もすると、苦しむ者、瀕死の者、死者は日常の光景になる。死者が出れば、ほかの被収容者がまだ温かい遺体から衣服や靴を取っていく。食事が残っていれば、それを手に入れようとする。かつてなら嫌悪や罪悪感を呼び起こした行為も、やがてほとんど感情を伴わなくなる。ここでは死者に対する敬意よりも、今日を生き延びるための靴や食料の方が切実だった。人間性が単純に失われたというより、感情生活の全体が「生命を維持する」という一点へ強制的に収縮していたのである。
肉体の苦痛よりも愚弄が傷つける
被収容者は日常的に殴られた。感情が麻痺すると、肉体的暴力に対してさえ反応しなくなる。しかしフランクルは、殴打そのものより、それに伴う侮辱や嘲笑の方が深く人を傷つけたと記している。人間として扱われず、怠け者、豚、役立たずと決めつけられる。そこでは身体だけでなく、それまで生きてきた人生と人格まで否定される。
フランクルが監督の侮辱に憤怒を覚えたことは、感情が完全に消滅していなかったことを示している。暴力に反応しなくなっても、「自分はそのような人間ではない」という尊厳の感覚までは、なお消えていなかった。
生存だけに収縮する精神
第二段階では、精神生活全般が幼児的な水準へ退行する。夢に現れるのは、パン、菓子、煙草、温かい風呂など、満たされない原始的欲求だった。
とりわけ飢えは、思考のほとんどを支配した。被収容者たちは料理について語り、解放された後の食事を空想し、わずかなパンを一度に食べるべきか、少しずつ残すべきかを延々と議論した。パンを残せば翌朝の苦痛を和らげられるが、盗まれる危険がある。一度に食べれば、少なくとも一瞬は空腹から解放される。
栄養不足によって性欲はほとんど消滅し、文化的・知的関心も後退した。生存に直接関係しないものは贅沢となり、価値を失っていく。収容所には、いわば「文化の冬眠」が訪れた。それでも例外的に残ったのが、政治と宗教への関心だった。政治的な噂は、戦争終結と解放の可能性に関係していたため、人々の注意を引きつけた。しかし楽観的な噂が何度も裏切られることで、希望はかえって精神を消耗させた。他方、宗教的感情は深まりを見せた。疲労し、飢え、凍えた人々が、居住棟の片隅や家畜用貨車の暗闇で祈った。外面的な価値が奪われたとき、宗教は、なお奪われていない内面へ向かう道になった。
内面への逃避
過酷な外界から精神を守るもう一つの方法は、内面へ退避することだった。フランクルは、凍てつく朝、作業場へ向かう行進のなかで妻を思い浮かべた。妻がまだ生きているかどうかは分からない。それでも心のなかで妻と語り、その面影を見つめることはできた。そこで彼が見いだしたのは、愛は相手が目の前に存在することだけによって成立するものではない、という事実だった。外界から何も得られず、何も成し遂げられない人間でも、愛する者を心に抱くことで、ほんの一瞬、精神的な充足へ到達できる。
過去の何気ない日常も、重要な避難場所となった。家の扉を開ける、電話に出る、電灯をつけるといった、かつては意識もしなかった光景が、収容所では失われた世界の輝きとしてよみがえった。自然の美しさも同様だった。灰色の収容所、泥、雪、ぼろ衣服の向こうに、夕焼けや遠い山々が見える。その一瞬、人間は収容所の現実を超え、なお美しい世界が存在することを確認した。
芸術とユーモア――状況から距離を取る力
収容所では、わずかながら歌や詩、即席の演芸も行われた。空腹を抱えながら演芸会へ足を運ぶことは、食事よりも一時の精神的解放を選ぶことだった。ユーモアもまた、「自分を見失わないための魂の武器」だった。笑いは現実を変えない。しかし、ほんの数秒でも、自分と状況との間に距離を作る。
フランクルたちは、解放後も収容所の習慣が抜けず、スープを出されたときに「底の方からお願いします」と言ってしまうのではないか、と冗談を作った。悲惨な現実を笑いに変えることで、自分がその現実そのものになってしまうことを防いだのである。第二段階の感情の消滅は、すべての情念が均等に消えた状態ではなかった。外界の刺激に対する感情は鈍磨したが、愛、信仰、美、記憶、ユーモアといった内面的な働きは、わずかながら残されていた。
苦痛を免れるだけで幸福になる
収容所では、幸福の尺度も反転した。ガス室のない収容所へ移されたこと、シラミ取りを最後まで行えたこと、監視兵に殴られなかったこと。通常なら幸福とは呼べない出来事が、大きな喜びになった。そこに存在したのは、積極的に何かを得る幸福ではない。予想された苦痛を一つ免れるという「否定的な幸福」だった。
人間の苦痛は、置かれた世界全体に広がる。そのため、外部から見れば些細な苦痛でも、その人の意識を完全に満たし得る。逆に、ほんの小さな救いも、意識全体を満たすほどの喜びになり得た。
群集のなかで求める孤独
四六時中、他人と密着し、生活のすべてを共有させられる環境では、数分でも一人になることが切実な願いとなる。フランクルは病棟の裏手で、死体のそばに腰を下ろし、鉄条網越しに牧草地や遠い丘を眺めた。死体があることさえ気にならない。そのわずかな孤独は、自己を取り戻すための時間だった。収容所は人間から私生活だけでなく、一人で考える空間まで奪っていた。したがって孤独への渇望とは、単に人付き合いを避けることではない。群集の一部に還元された人間が、再び「私」であることを確かめようとする欲求だった。
運命のたわむれ
収容所では、人間は名前を失い、番号として扱われた。病人の移送も名簿によって処理され、生きているか死んでいるかより、番号が一致していることの方が重要だった。さらに、どの出来事が生存につながり、どの出来事が死につながるかは、ほとんど予測できなかった。危険に見えた選別が救いとなり、安全に見えた残留が死をもたらす。禍福は、数年後ではなく数分後に逆転した。
病人収容所への移送が発表されたとき、人々は、それが本当の移送なのか、ガス室へ送るための偽装なのかを判断できなかった。以前、移送を恐れて辞退し、代わりに夜間作業へ志願した八十二人の大半は、二週間以内に命を落としていた。三度目の移送で、フランクルにも辞退する機会が与えられた。しかし彼は、生存の可能性を計算して残ることを選ばず、病気の仲間とともに行くと決めた。妻への遺言を友人に託し、死を覚悟して出発する。
ところが移送先はガス室ではなく、本当の病人収容所だった。さらに、フランクルが去った後の収容所では飢餓が激化し、人肉食が始まる寸前まで荒廃した。安全に見えた残留が、破滅へ近づく道だったのである。
テヘランの死神
この場面でフランクルが思い起こすのが、「テヘランの死神」という昔話である。
死神に出会った召使いは、自分を迎えに来たのだと思い込み、主人から最も足の速い馬を借りてテヘランへ逃げた。しかし死神は、召使いを迎えに屋敷へ来たのではなかった。「今夜テヘランで死を迎えるはずの男を、今ここで見かけたので驚いた」と語ったのである。召使いは死から逃れようとして、結果的に自分の死が待つ場所へ急いでいた。
収容所でも同じように、死を避けるための選択が死へ近づき、死を覚悟した選択が生存につながった。しかし、これは未来があらかじめ決定されていることの証明ではない。収容所では情報が著しく欠けており、どの選択が生存につながるかを、誰にも判定できなかったということである。
フランクルの生死は、本人にも周囲の者にもまったく見通せなかった。だから彼は「必ず助かる道」を選んだのではない。結果が分からないなかで、医師として病人とともに行くという、自分が引き受けることのできる道を選んだのである。
凪原理論から見た第二段階前半
第一段階では、従来の価値世界と可能世界が一挙に破壊された。第二段階では、その崩壊した世界を生き延びるため、感情生活が生命維持に必要な範囲へ収縮していく。
VS↓↓⇒情念の鈍麻・関心領域の縮小
しかし、情念そのものが完全に消滅したわけではない。外界への反応を遮断する一方で、愛する妻、祈り、自然の美、過去の記憶、ユーモアといった価値は、内面に保存されていた。さらに「運命のたわむれ」では、可能命題が極度に不確定になる。
P(移送→生存)=不明
結果を予測できない以上、「生きたい」という欲求願望だけでは、どちらを選ぶべきか決定できない。そこでフランクルは、病人を見捨てず、医師として同行するという規範当為に従った。ここで現れるのは、運命を支配する自由ではない。生死の結果を選ぶことはできなくても、その不確定な状況において、自分がどのように振る舞うかを選ぶ自由である。
第二段階前半は、情念が崩壊していく記録であると同時に、その崩壊のなかで内面の価値がなお保たれる過程でもあった。外界への感情は麻痺したが、内面の価値までは消滅しなかった。この点が、後半の「奪われなかった最後の自由」へつながる。
第二段階後半――奪われなかった最後の自由
決断を避ける心理
長期の収容生活は、人間から感情だけでなく、みずから決断する力も奪っていく。突然下さなければならない判断が生死を分ける環境では、決断そのものが耐えがたい重荷となる。やがて被収容者は、運命が自分に代わって決めてくれることを望むようになる。フランクル自身も、仲間と脱走する機会を得た。しかし、病棟に残された患者のまなざしを前にして、自分だけが逃げることへのやましさを覚える。そして、患者のもとに残ると決めた瞬間、未来が一層危険になったにもかかわらず、心にはかつてない安らぎが訪れた。
これは安全な結果を選んだ安堵ではない。何が起こるか分からないまま、自分が引き受けるべき態度を自分で決めたことによる安らぎである。その後も運命は、脱走すれば助かり、残れば死ぬという単純な形では進まなかった。フランクルたちが乗り損ねた移送トラックは、自由へ向かう車ではなかった。移送された患者たちは別の収容所に閉じ込められ、建物ごと焼かれた。助かったと思われた選択が死へ通じ、取り残されたことが生存へ通じたのである。
ここに再び「テヘランの死神」の構図が現れる。生死を左右する未来は人間には見通せず、その時点で合理的に見えた選択が、どこへ通じているかは分からない。
感情の鈍磨と苛立ち
収容所における感情の消滅は、魂の自己防衛であると同時に、空腹、睡眠不足、病気、不衛生といった身体的条件にも支えられていた。そこへ劣等感、屈辱、嫉妬、特権的な被収容者への反感が加わり、苛立ちは容易に暴力へ転化した。かつて社会的地位をもっていた者も、収容所では一つの番号として扱われる。一方、カポー(親衛隊が被収容者の中から選任した収容者監督)や厨房係などの特権を得た者は、収容所内で「出世」したと感じ、しばしば小さな権力者として振る舞った。外部の社会的価値が消滅したあとにも、比較と支配によって自己価値を回復しようとする構造は残っていたのである。
それでも残された精神の自由
こうした環境を記述すれば、人間は生物学的・心理学的・社会的条件によって完全に決定されるように見える。しかしフランクルは、収容所で実際に見た人びとを根拠に、それを否定する。わずかなパンを他者に譲り、思いやりのある言葉をかけ、自分の尊厳を守りつづけた人がいた。たとえ少数であっても、その存在は、環境が人間の態度を完全には決定しないことの証明になる。
人間からほとんどすべてを奪うことはできる。しかし、
与えられた状況に対して、どのような態度を取るかという最後の自由は奪えない。
収容所の日々は、外的自由を失った人間に対し、内的な決断を絶えず迫った。環境の力に屈して「典型的な被収容者」になるのか。それとも、極限状況にあっても人間として踏みとどまるのか。選択可能性は限りなく小さくなっていたが、完全にゼロにはなっていなかった。
苦悩に値する人間
フランクルはドストエフスキーの言葉を引く。
わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ。行動によって何かを成し遂げる機会も、美や愛を味わう機会も奪われたとき、なお残る可能性がある。それは、避けることのできない苦悩に対して、どのような態度を取るかという可能性である。ここでいう「苦悩の意味」は、苦痛そのものを美化することではない。避けられる苦痛を受け入れよという意味でもない。逃れられない運命の前でさえ、自分の精神的態度まで運命に明け渡さないということである。
生に意味があるならば、行動と喜びだけでなく、苦しみと死も含めた生全体に意味がなければならない。生き延びられた場合にだけ意味があるとすれば、その意味は偶然の結果に依存してしまう。フランクルが問うたのは、助かるか否かとは別に、この苦しみのなかで人間として何をなしうるかということだった。
無期限の暫定的存在
被収容者の精神を破壊した最大の要因の一つは、収容生活がいつ終わるのか分からないことだった。フランクルはこれを「無期限の暫定的存在」と表現する。終わりが分からなくなると、目的も失われる。「終わり」と「目的」はともにラテン語の finis で表される。未来の終点を見通せない人間は、未来に向かって自己を組織することが困難になる。その結果、一日は際限なく長く感じられる一方、一週間は単調な反復のうちに急速に過ぎ去る。鉄条網の外の世界は現実感を失い、被収容者は自分の人生をすでに終わったもののように感じる。未来を失った人間は「生きる屍」となり、現在を無価値な仮の時間として扱い始める。しかし、現在を単なる空白とみなせば、そこに残されていた人間的な決断の機会まで見失う。未来は、現在に意味を与える内的な支点だった。
生きる意味を問うことの転回
フランクルは、生きる意味についての問いを百八十度転回させる。わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ。「生きることにもう何も期待できない」という絶望に対して、未来から自分へ向けられた問いを示す。人生の意味は、一般的な答えとして与えられるものではない。それぞれの人に、具体的な状況が具体的な課題を差し出す。その答えは、言葉だけでなく、行動と態度によって示される。ある人を待っているのは愛する子供であり、別の人を待っているのは未完成の仕事だった。その子供にとって父親は代替できず、その仕事にとって研究者はかけがえがない。
自分を待っている人や仕事に対する責任を自覚した人間は、生きることから簡単には降りられない。「なぜ」生きるかを知っている者は、ほとんどあらゆる「どのように」に耐える。意味とは、自分の内部だけで完結する感覚ではない。自分を必要としている他者や、まだ果たしていない仕事との関係のなかから立ち現れる。
苦しむことも課題となる
避けられない苦しみは、抑圧したり、安易な楽観によって取り繕ったりしても消えない。フランクルは、苦しみを正面から引き受けることにも、一つの達成がありうると考える。涙は敗北の証明ではない。それは、苦しみから目を背けず、なお耐えようとしている勇気の現れでもある。誰も他人の苦しみを完全に肩代わりすることはできない。だからこそ、その人が自分の苦しみに対してどのような態度を取るかには、一回的で代替不能な意味が生じる。
暗闇のなかの言葉
集団絶食を課された夜、寒さと空腹と絶望のなかで、フランクルは仲間たちに語りかけた。未来は誰にも分からない。過去に実現した経験や行為は、誰にも奪うことができない。そして、生にはどのような状況でも意味があり、その意味は苦しみと死さえ含んでいる、と。見込みが薄いからといって、戦うことの意味まで失われるわけではない。友、妻、死者、あるいは神が自分を見ているとしたら、そのまなざしを失望させないように苦しむことはできる。たとえ外面的成果を生まなくても、誰かのために引き受けた犠牲には、その人にとっての意味がある。
話し終えたとき、暗かった居住棟に電球がともり、涙を浮かべた仲間が礼を伝えに近づいてきた。言葉が状況を変えたのではない。絶望的状況のなかに、なお取ることのできる態度が残っていることを示したのである。
善悪の境界線
フランクルは最後に、監視者の心理を取り上げる。監視兵には意図的に選抜されたサディストがおり、長年の残虐行為に慣れて鈍感になった者もいた。しかし、監視者の全員が残酷だったわけではない。私費で被収容者の薬を購入していた収容所長もいた。反対に、同じ被収容者でありながら、仲間を残酷に扱った者もいた。したがって「監視者は悪、被収容者は善」という集団単位の区別では、人間を説明できない。境界線は、集団と集団のあいだではなく、それぞれの人間の内部と、具体的な行為のあいだに引かれる。
この世には、まともな人間とまともではない人間がいる。そして、その双方はあらゆる集団に入り込んでいる。人間は善だけでも悪だけでもなく、その合金である。極限状況は人間性を一律に消滅させたのではない。ある者の残酷さを露出させると同時に、別の者の善意と尊厳をも露出させた。フランクルは、第二段階を次の認識へ収束させる。人間とは、自分が何者であるかを、つねに決定する存在である。人間はガス室を発明した存在である。しかし同時に、ガス室へ入りながら、毅然として祈りの言葉を口にした存在でもある。
第二段階の結論
第二段階で描かれた感情の鈍磨は、人間性の完全な消滅ではなかった。選択肢は極端に狭められ、未来は見えず、身体も精神も限界に追い込まれていた。それでも、環境に対してどのような態度を取るかという最後の可能性は、完全には消えなかった。第一段階に残されていたのが「自ら終わらせない」という意志の最小形だったとすれば、第二段階で明らかになるのは、そのわずかな生存の上に、責任・愛・仕事・苦悩への態度を再び成立させる可能性である。
自由とは、思いどおりの未来を選べることではない。未来を選べない状況においても、自分がどのような人間であるかを決定しつづけることである。
第三段階――収容所から解放されて
自由を感じられない
収容所の門に白旗が掲げられ、被収容者たちはついに外へ出た。しかし、そこに予想された歓喜はなかった。命令する声も、鉄拳も、足蹴りもない。花の咲く牧草地を自由に歩くことができる。それでも彼らの心には何も届かなかった。
彼らは何度も自分に言い聞かせる。
自由になったのだ。
しかし、長いあいだ夢の中で繰り返された「自由」という言葉は、現実感を失っていた。花も空も雄鶏も目には映るが、感情にまでは届かない。仲間同士で「今日はうれしかったか」と尋ねても、返ってくるのは「うれしいというのではなかった」という答えだった。
フランクルはこの状態を、強度の離人症と説明する。自由は実現したのに、世界が夢のように感じられ、自分がそこへ戻ったことを信じられない。収容所で感情を麻痺させることによって生き延びた精神は、門が開いたからといって、ただちに元の感受性を取り戻すわけではなかった。
外的解放⇏内的解放
身体が先に自由を受け取る
精神が自由を理解できない一方、身体はすぐに解放へ反応した。被収容者たちは信じがたいほど食べ、コーヒーを飲み、そして何時間も自分の体験を語り続けた。
飢えていた身体は食物を求め、沈黙を強いられていた精神は言葉を求めた。語ることは単なる回想ではない。長年抑圧されていた経験を、自分の人生として取り戻す働きだった。それから何日かが過ぎると、堰き止められていた感情がようやくあふれ出す。フランクルは、花の咲く野原を歩き、雲雀の声を聞きながら立ち止まり、地面にひざまずいた。
この狭きよりわれ主を呼べり、主は自由なるひろがりのなか、われに答えたまえり。
この瞬間、外的解放がようやく内面へ届いた。自由とは門を出た一瞬に完成するものではなく、身体、言葉、感情を通して、少しずつ取り戻されるものだった。
精神的な潜水病
しかし、解放には新たな危険も伴った。フランクルはそれを「精神的な潜水病」にたとえる。高い水圧のもとから急浮上した人間が身体を損なうように、長期間の精神的圧迫から突然解放された人間も、心の均衡を失うことがある。
被収容者の一部は、自由を「今度は自分が力を好きなように使ってよいこと」と取り違えた。権力と暴力の客体だった者が、そのまま権力と暴力の主体になろうとしたのである。
暴力の客体→解放→暴力の主体
それは収容所の論理から脱したのではなく、支配する側とされる側を入れ替えただけだった。フランクルが仲間と歩いていたとき、仲間は芽を出したばかりの麦畑を踏みつけた。フランクルが若芽を傷つけるべきではないと言うと、仲間は、妻子をガス室で殺された自分が、わずかな麦を踏むことさえ許されないのかと激怒した。
その怒りの大きさは理解できる。しかしフランクルは、ここで一線を引く。
不正を働かれた者にも、不正を働く権利はない。
被害は加害を正当化しない。苦痛を受けたという事実は、他者の価値を侵害する無制限の許可にはならない。第二段階で残されていた「態度を選ぶ自由」は、解放後には復讐を拒む自由として、もう一度試される。
世間への不満
解放者を待っていた第二の危険は、世間に対する不満だった。帰郷した人びとが耳にしたのは、「何も知らなかった」「こちらも大変だった」という、おざなりな言葉だった。
収容所を生き延びた者にとって、自分の体験と世間の日常との隔たりはあまりにも大きい。理解してもらえると思って語っても、相手は肩をすくめる。すると、「何のためにあれほど耐えたのか」という疑いが生まれる。収容中には、外の世界が救済の場所として思い描かれていた。しかし帰還してみれば、その世界は苦痛を十分に理解せず、受け止める言葉も持っていなかった。自由な社会へ戻ることと、その社会に再び所属できることとは同じではなかった。
待つ人がいない
第三の、そして最も深刻な危険は失意である。
収容所で人間を支えていたのは、「自分を待つ人がいる」「果たすべき仕事がある」という未来だった。ところが、解放されたあとで、待っているはずの人がすでに亡くなっていたことを知らされる者がいた。
何度も夢に見た家へ向かい、呼び鈴を押す。しかし、扉を開けてくれるはずの人は、もう二度と扉を開けない。
第二段階では、妻の幻影がフランクルを支えた。その体験は幻覚として切り捨てられるものではない。妻との内的な関係は、収容所の現実以上の確かさをもってフランクルに迫り、生きる力を与えた。しかし解放後、内面で現前していた妻の身体的な不在を、改めて引き受けなければならなかった。
収容中の内的現前→解放後の現実的喪失
未来の希望は人間を生かす。しかし、その未来が実現しなかったとき、希望を支えにした人間は、もう一度深い苦悩に落ちる可能性がある。
苦悩を帳消しにする幸福はない
被収容者たちは、解放後に幸福が待っていれば、それまでの苦痛が埋め合わされるとは考えていなかった。あれほど苦悩したあとでは、それを帳消しにできるような幸福はこの世にない。フランクルの思想は、「意味を信じれば、最後には幸福になれる」という交換条件ではない。意味を保持しても、愛する者が帰ってくるとは限らない。尊厳を守っても、受けた苦痛が消えるわけではない。正しい態度を選んでも、救われる保証はない。
意味の保持⇏幸福による補償
それでも、結果によって過去の態度の価値が取り消されるわけではない。救済が保証されないからこそ、そのとき何を選んだかが独立した意味を持つ。
再び人間になる
解放とは、収容所の門を出た瞬間に終わる出来事ではなかった。喜ぶことを学び直し、語ることによって自分の経験を取り戻し、復讐への衝動を抑え、世間の無理解と向き合い、愛する者の死を知る。そのすべてを経て、人間は徐々に自由な世界へ帰っていく。
第三段階が示すのは、人間性の回復もまた一つの決断であり、長い過程であるということだ。収容所から解放されても、収容所の論理が心の中に残ることがある。被害者がその論理を反転させて加害者になれば、収容所は形を変えて存続する。したがって、フランクルにとって精神の自由とは、苦境のなかで自分を守る力だけではない。自由を得たあとにも、他者を踏みつけないための制約である。
第三段階の結論
第一段階では、それまでの価値世界と可能世界が一挙に破壊された。第二段階では、感情が鈍磨し、未来が失われるなかで、それでも態度を選ぶ最後の自由が残された。そして第三段階では、外的自由を回復しても、精神的自由は自動的には回復しないことが明らかになる。
第一段階:世界の崩壊
第二段階:極限状態における精神の維持
第三段階:解放後の人間性の再建
フランクルの体験は「意味を見いだせば人間は必ず救われる」という成功物語ではない。生存も幸福も愛する人との再会も保証されない。それでも人間は、最後まで自分の態度を選び、解放後にも他者の価値を自分の行為の制約条件として保持できるかを問われる。
人間からほとんどすべてを奪うことはできる。しかし、どのような態度を取るかという最後の自由は奪えない。
そして自由を取り戻したあとも、その自由を他者への不正に用いないという課題が残る。