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LES PASSIONS DE L’AME

デカルト『情念論』第一部(5~50頁)概要
「情念はどこから生まれるのか

人間は精神と身体の二つから成る

デカルトはまず、身体は機械として動く精神は考える存在であるという有名な心身二元論から出発する。ここで重要なのは、身体の運動と精神の思考は別の種類の現象であるという点である。

② 身体だけでもかなり動ける 

第一部のかなりの頁を使って心臓血液循環神経筋肉を説明している。現代から見ると医学的には誤りもあるが、デカルトの目的は医学ではない。言いたいことは身体には精神が直接命令しなくても動く仕組みが存在するということである。

③ 「精気(Animal Spirits)」という考え 

第一部最大のキーワード。デカルトは血液から生じる非常に微細な粒子を精気(動物精気)と呼ぶ。これが脳→神経→筋肉を流れ、身体運動を引き起こすと考えた。

もちろん現代では神経インパルスや神経伝達物質に置き換えられますが、当時としては「身体内部の情報伝達システム」を想定した画期的な仮説だった。

④ 松果腺(しょうかせん)

 ここもデカルト最大の特徴です。精神は身体全部に宿るのではなく脳の中央にある松果腺で身体と接触すると考えた。 

つまり 外界→ 感覚器 → 神→ 松果腺 →精神 という流れになる。

⑤ 情念とは何か 

ここまで読んでようやくデカルトは情念を定義する。情念とは身体の変化によって精神の中に生じる受動的な知覚・感覚・感情である。 つまり外界→ 体変化 →脳 →精神 という順番である。だから「情念」は精神が自分で作るものではなくまず身体から押し寄せてくるものだ、という理解になる。

⑥ 意志との違いデカルトは情念意志をはっきり区別する。情念=受ける意志=働きかけるつまり情念は受動、意志は能動である。

⑦ 情念は悪ではない ここがデカルトの意外なところ。中世では情念=理性を乱すものという考え方が強かったが、デカルトは情念は自然に備わったものであり、本来は身体を守り、生きるために役立つと考える。 

つまり 恐怖→ 怒り →喜び などは本来は生存に必要な仕組みである。

デカルトは「身体変化」を情念の直接原因と考える。

第一部:「情念とは、身体と精神が接する場所(松果腺)で、身体の変化が精神へ伝えられることによって生じる受動的な現象である。その仕組みを説明するために、デカルトは心身二元論・精気・神経・松果腺という理論を組み立てた。」 

デカルト『情念論』第二部(51~129頁)概要
第二部では、デカルトは人間の情念を体系的に分類し、その発生機序を説明する。情念は無数に存在するように見えるが、根本には

驚き ②愛 ③憎しみ ④欲望 ⑤喜び ⑥悲しみ

の六つの基本情念があり、他の情念はこれらから派生すると考える。さらに各情念について、身体の変化(動物精気・心臓・血液・松果腺など)との関係を詳しく論じ、表情や身体反応は情念の外面的表現であると説明する。凪原理論との比較では、デカルトが「身体変化から情念への作用」を重視するのに対し、凪原理論は「事実・可能・価値認識から命題評価を経て情念が生じる」という認識構造を中心に据えている点に特徴がある。

ここはデカルト『情念論』の中でも非常に面白い部分である。実は、この図は単なる「表情の図鑑」ではない。デカルトの情念理論そのものを絵にしたものである。第二部では、六つの基本情念を説明したあと、それぞれの情念が身体や表情にどのような変化を起こすかを示すために、この図が置かれている。図の読み方デカルトは、「精神」と「身体」は別の実体であると考えながらも、情念だけは両者を結び付ける現象として扱った。したがって図は、

外界の対象 → 知覚 → 脳(松果腺)→ 情念→ 身体・表情

という流れを、一目で分かるように描いている。例えば、驚き目が大きく開く 眉が上がる 口が少し開く これは「未知の対象へ注意を集中する姿勢」である。悲しみ視線が落ちる 口角が下がる 全身の活動が弱くなる 怒り・憎しみ眉が寄る 眼光が鋭くなる 口元に力が入る つまり、情念は身体を通して外部へ現れるということを図示している。


驚きだけが特別である理由

デカルトは、驚き(Admiration)だけは反対の情念を持たないと考える。なぜだろう。

他の五つは必ず対になる。

愛 ⇔ 憎しみ・ 喜び ⇔ 悲しみ・ 欲望 ⇔ 無気力

ところが、驚きは「これは何だ?」という認識の始まりだからである。つまり、まだ良い 悪い 好き 嫌い という価値判断が存在していない。まず対象に注意が向く。それから「これは善だ」「これは危険だ」と判断し、愛や恐怖や欲望へ進む。だから驚きだけは、認識の入口である


デカルトの驚きとは何か

デカルトは驚きを、初めて見るもの、あるいは予想外のものに出会ったとき、精神がその対象へ強く注意を向ける情念と説明している。ここで重要なのは、驚きには善悪がない。たとえば、蛇を見ても、花を見ても、美しい星空を見ても、最初は「何だ、これは」という注意が働く。そのあと、危険なら恐怖へ、美しいなら愛や喜びへ、利益がありそうなら欲望へ、というように分かれていく。


凪原理論との比較

凪原理論でいうと、驚きはまだ**価値認識(V)**が成立していない段階に近いように見える。つまり、事実認識(F)「未知の対象を認識した」だけが先に起きる。その後、可能認識(P)「これは何に使えるのか。」価値認識(V)「自分にとって良いのか悪いのか。」が加わって、初めて怒り喜び恐怖・欲望などへ分岐していく。この意味では、デカルトの「驚き」は、凪原理論でいう命題評価が始まる直前の認知状態として位置付けることもできそうだ。


デカルトは六つを「基本情念」と呼んでいるが、実際の構造を見ると、驚きだけは他の五つとは役割が違う。驚き……認識を開始させる「入口」の情念 愛・憎しみ……対象への評価 欲望……未来への志向 喜び・悲しみ……結果の評価 つまり六つが横並びなのではなく、「驚き」が最上流にあり、残り五つがそこから分岐する構造になっている。

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