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Sigmund Freud — Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse

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「精神分析を学ぶ」とはどういうことか

0001|フロイト『精神分析入門』上巻・第Ⅰ部 第1講~第2講――言い間違いは、ただの失敗か

フロイトの『精神分析入門』は、完成した理論を順番に説明する論文のようには始まらない。第1講でフロイトは聴講者に語りかけ、精神分析という学問に近づくことの難しさを説明する。

医学の授業なら、標本や患者の症状をその場で見ることができる。しかし精神分析の治療で交わされる言葉を、聴講者が同じように見学することはできない。講義で聞くのは、分析者が経験をもとに語る話である。フロイトは、聴講者が自分の目で確かめられないという問題を、まず正面から取り上げる。

さらにフロイトは、精神分析の主張そのものが人々の反発を招くとも告げる。人間は自分の心のすべてを知っているわけではない。性的なものも、人間の精神生活を考えるうえで無視できない。こうした話を聞く側には、知識だけでなく、自分が当然と思ってきた見方を問い直す用意も求められる。

最初の題材は、誰にでも起こる「錯誤行為」

では、何から調べ始めるのか。第2講でフロイトが選ぶのは、特別な病気の症状ではない。言い違い、書き違い、読み違い、度忘れ、置き忘れなど、健康な人にも日常的に起こる錯誤行為である。

私たちは、言い間違いをすれば「口が滑った」、名前が出てこなければ「たまたま忘れた」と片づけがちだ。フロイトは、そこで立ち止まる。言おうとしたこととは別の言葉が出たとき、その言葉はどうして現れたのだろうか。

講義では、会議を始める場面で議長が「閉会」を宣言してしまったという例が出てくる。フロイトは、単に「開会」と「閉会」を取り違えたのか、それとも会議を早く終えたいという別の意向が表れたのか、と問いを進める。

ここにフロイトの着眼点がある。本人が意図した行為だけを見るのではなく、意図に反して実際に起きたことにも、意味があるかもしれないと考えるのである。

第1講では「精神分析は簡単には学べない」と率直に話す。それでも聞き続けたいと思った聴講者に、第2講では自分にも覚えのある小さな失敗を差し出す。「あなたにも起きるでしょう。では、その失敗を少し調べてみましょう」という進め方である。

フロイトは、人の興味を引く講義に長けていたのだと思う。ただ、例が面白いことと、その解釈が正しいことは同じではない。「閉会」と言い違えた議長が、本当に閉会を望んでいたのかは、その場の事情を調べなければ決められない。

この区分で受け取るべきなのは、「すべての言い間違いには隠れた願望がある」という結論ではない。見過ごしていた日常の失敗を、調べるべき現象として取り上げるという、フロイトの問いの立て方である。小さな錯誤から、人間が自分の意図をどこまで知っているのかという大きな問題へ、講義は歩き始める。

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